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コミュニケーションについて考える

更新日:5月11日



おはようございます。



Fukushi Vision Group株式会社 医療・介護・福祉経営コンサルティングの塚本です。



本日は永遠の課題である『コミュニケーション』について考えたいと思います。














今、ちょうどコミュニケーションに関する著書を4冊ほど取り寄せ中です。私が通う社会事業大学専門職大学院の先生にも依頼して、おススメの著書を紹介してもらいました。



専門的なお話は、著書が届くまでできませんので、一旦は経験則による私の考えを

答えのない最も難しい内容に対して、独り言のように語りたいと思います。







・・・・・




そういえば、改めてコミュニケーションについて考えたことがなかったです。今回、クライアントからコミュニケーションに関する研修内容を依頼されたことで、考える機会をいただきました。




人は生まれながらにして、必ず誰かが周りにいるという”状況”の中で、無意識に人との関わりを感覚的に学んできたのだと思います。




その人生の過程の中で、経験によって対人コミュニケーション力に差が出ているのが、社会人になって大きな影響をを与えるのですね。




大きな影響とは、つまりは資本主義の中で生き抜いた結果として得られる”対価”について表現しています。





・・・そういえば、コミュニケーションの大枠の概念について考えると、なんだかより難しい気がしますね。深く考えれば考えるほど、難しい・・・




今の話だと、コミュニケーションとは「対人」に限定していることが、無意識的に書いていましたが、果たして対人だけなのでしょうか。


もちろん、人以外の生物に関するコミュニケーションもあるかと思いますが・・・

考えたことはなかったです。








では、コミュニケーションとは、『有機物』と『無機物』どちらか、または双方に必要なもなのか、そこも疑問です。




例えば、コミュニケーションというものが、相互作用という考えに基づくものであれば、一方的なものはコミュニケーションとは言わないでしょうかね。。




どちらか一方が働きかけることで、その反応がある場合にのみ「コミュニケーションの存在が認められる」という解釈でいいのですかね?






私が壁に一方的に話しかけても、その反応がない場合は感覚的にですが”コミュニケーションが認められない状態”と言っても良さそうですね。





これが自分の子供に対して、働きかけをすることで、子供が怒った場合は”コミュニケーションの存在は認められるが、上手くいっていない”と言っても良さそうです。







そう考えると、コミュニケーションは方法ではなく「存在」と「状況」として理解し、条件は”たったの一つ”となりそうです、、







コミュニケーションの存在条件とは・・・



一方の働きかけによる反応が得られる有機物であること




存在が認められたうえで、反応が良かった、悪かった、これより関係性が悪化したなど結果論としての認識が、一般的なコミュニケーション理解なのかもしれません。







今、つらつらと書いていますが、あとは著書が届くのを待ちますか・・・



それでは。





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FukushiVisionGroup株式会社 医療・介護・福祉経営コンサルティング



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