おはようございます。
Fukushi Vision Group株式会社 医療・介護・福祉経営コンサルティングの塚本です。
本日は永遠の課題である『コミュニケーション』について考えたいと思います。
今、ちょうどコミュニケーションに関する著書を4冊ほど取り寄せ中です。私が通う社会事業大学専門職大学院の先生にも依頼して、おススメの著書を紹介してもらいました。
専門的なお話は、著書が届くまでできませんので、一旦は経験則による私の考えを
答えのない最も難しい内容に対して、独り言のように語りたいと思います。
・・・・・
そういえば、改めてコミュニケーションについて考えたことがなかったです。今回、クライアントからコミュニケーションに関する研修内容を依頼されたことで、考える機会をいただきました。
人は生まれながらにして、必ず誰かが周りにいるという”状況”の中で、無意識に人との関わりを感覚的に学んできたのだと思います。
その人生の過程の中で、経験によって対人コミュニケーション力に差が出ているのが、社会人になって大きな影響をを与えるのですね。
大きな影響とは、つまりは資本主義の中で生き抜いた結果として得られる”対価”について表現しています。
・・・そういえば、コミュニケーションの大枠の概念について考えると、なんだかより難しい気がしますね。深く考えれば考えるほど、難しい・・・
今の話だと、コミュニケーションとは「対人」に限定していることが、無意識的に書いていましたが、果たして対人だけなのでしょうか。
もちろん、人以外の生物に関するコミュニケーションもあるかと思いますが・・・
考えたことはなかったです。
では、コミュニケーションとは、『有機物』と『無機物』どちらか、または双方に必要なもなのか、そこも疑問です。
例えば、コミュニケーションというものが、相互作用という考えに基づくものであれば、一方的なものはコミュニケーションとは言わないでしょうかね。。
どちらか一方が働きかけることで、その反応がある場合にのみ「コミュニケーションの存在が認められる」という解釈でいいのですかね?
私が壁に一方的に話しかけても、その反応がない場合は感覚的にですが”コミュニケーションが認められない状態”と言っても良さそうですね。
これが自分の子供に対して、働きかけをすることで、子供が怒った場合は”コミュニケーションの存在は認められるが、上手くいっていない”と言っても良さそうです。
そう考えると、コミュニケーションは方法ではなく「存在」と「状況」として理解し、条件は”たったの一つ”となりそうです、、
コミュニケーションの存在条件とは・・・
一方の働きかけによる反応が得られる有機物であること
存在が認められたうえで、反応が良かった、悪かった、これより関係性が悪化したなど結果論としての認識が、一般的なコミュニケーション理解なのかもしれません。
今、つらつらと書いていますが、あとは著書が届くのを待ちますか・・・
それでは。
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