おはようございます。
Fukushi Vision Group株式会社 医療・介護・福祉経営コンサルティングの塚本です。
本日は『ウェルビーング』について大学院で授業を受けたので考察したいと思います。
さて、先日、大学院の授業において共生社会とデザインという科目で「ウェルビーング」について講義を受けました。約50名いる生徒に対して教授が4人。オンラインと対面のハイブリッドでした。
授業の進め方は4人の教授が、支援者としてのウェルビーングについてプレゼンを発表し、それついにディスカッションを実施するというものです。
結論から申し上げますと・・・
医療・介護・福祉業界では特に多用されているウェルビーングという言葉ですが、正直、私はあまり聞きなれない為、違和感がありました・・・・
なんとなく、授業の中では「ウェルビーング」という言葉を過剰に多用した挙句、カオス状態に陥ったと認識しております。
良かった点としては、医療・介護・福祉のプロフェッショナルな教授たちの意見が、それぞれ異なった見解であったこと、授業の中で教授同士の意見対立が生じたことは、とても有意義でした。
福祉について長年学んで、教えている教授たちにとっても「ウェルビーング」を定義するのはとても難しいというは新たな発見でした。
そもそも、「ウェルビーング」とは何なのでしょうか?
語源を調べてみると・・・
Well =良い
being=生命、存在、状態
つまり、”良い状態”について、教授たちはプレゼンを実施し、約50名の生徒と共にディスカッションを行ったのです。
ただ、ここで考えてほしいのですが”良い状態"というのは、個人の価値観を中心に環境や状況に左右されると思いませんか。
つまり、この授業というのは個人の自己満足感をどこで感じるか?という発表会に近いような気がしました。
授業の中では教授2人の意見がぶつかった場面がありました。
それは、テーマの発案者とゲストスピーカーの「ウェルビーング討議の前提条件」です。
そもそも、今回のテーマは"支援者のウェルビーング"でしたが、ゲストスピーカーの教授は、支援者のウェルビーングというテーマについて疑問であると意見をぶつけていました。
支援者というのは、今回は現場支援している対利用者の専門職に対して使用している言葉ですが、支援しているときにウェルビーングを追求するのは、果たして本当のウェルビーングというのか?ということです。
ウェルビーングについて議論するならば、支援者に限定せずに議論する方が全うではないか。また、支援者に特定してしまうことで、他の支援者に対してウェルビーングを追求しなければいけないという変なプレッシャーがかからないかという意見でした。
私の意見はこうです。
まず、この授業の構造から見直すならば、ウェルビーングというざっくりとした大きな概念で始めるのではなく、支援者のウェルビーングに限定して議論する方が進めやすいと思いました。
また、ウェルビーングというのは突き詰めれば個人の幸福論になってしまうため、哲学的な話にならないようにファシリテートが重要であり、授業のストーリーを見直す必要があると思います。
私にとって、ウェルビーングとは”あえて追及するもの"ではなく、結果的に発生するものだと思います。
支援の中で幸福感や満足感、あるいは”良い状態”を生み出し持続させるのは結果であると考えています。
今回の授業は、抽象的な「ウェルビーング」という概念に対しる疑問を多く発見できた良い機会でした。
福祉には、エンパシー、ストレングス、エンパワーメント、ウェルビーングなど抽象的で大きな概念のあるワードがたくさんあります。
これらを多用する際には、本当の意味と自分なりの定義を持つことが重要だと思いました。
それでは。
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